ちょっとお知らせ

東日本大震災から今日で丸5年となった。~失ったもの、得たもの~

ここ福島県は、巨大地震と大津波、東京電力第一原発事故による災害は県民にとり今もなお続いている。
あの日、遅めの昼飯をとり夜の宿泊のお客様を迎えようとしていた。

食べていた途中のラーメンは吹っ飛び事務所は散乱。裸足で外へ飛び出した。
聞いたことのないサイレンがテレビから流れ、映像はどの局も津波が来るといった。

何をしたらいいかわからない。お客様は?家族は?
次女は小学6年、卒業式を迎える準備を学校でしていた。
本棚が倒れ先生にしがみつきながらも事なきをえて自力で友人たちとじいちゃんの家まで帰ってきた。

長男、高校2年グラウンドで春の大会へ向けての野球の練習中だった。次の日はいわきでの練習試合を控えていた。
息子の高校の野球グラウンドは地割れを起こしたそうだ。そんな中約20キロを自転車で帰宅。
たどり着いたときにはそれはもう真っ暗な夜になっていた。


当日宿泊のお客様は余震の中到着。それはそれはよくたどり着いたと…

次の日友人の結婚式に出席のための前泊でしたがもう郡山市内は断水や停電、営業どころではありませんからとにかく安全にと。
しかししかしお客様は岩手県宮古市からお越しになっていた。家や御家族が心配で泊まらずに帰りたいとおっしゃられた。

映像はもう真っ黒な津波、この暗い中今出ても道路もどうか、まずは情報収集して明日明るくなったらの出発でと説得した。
新幹線が止まり、帰京出来なかったお客様含めて一夜を深山荘にてと。
濁りはあるものの温泉も出たし、水も電気もガスも大丈夫だった。早めの温泉、夕食、長い夜になった。

栃木で暮らしていた大学生の長女、地震直後に「アパートのレンジが吹っ飛び、窓からは屏が軒並倒れて怖い」とだけ携帯が一度だけつながったがあとは不通。片道約1時間半の道のりを往復九時間かけて父親は行きました。
帰ってきたときには朝、直ぐに宮古市のお客様におにぎりと飲み物、毛布やバスタオルを持たせてガソリンスタンドを案内朝一の出発となった。


お客様も御家族も無事にと祈るばかりだった。

1週間後に連絡がありました。皆様ご無事でした。

その間には忘れたくても忘れられない福島第一原発事故が起きたんです。
まさかまさかテレビの映像に水素爆発が映るなんて…「あっ」って


正直迷いましたね。まだ小学6年の娘もいたし、ここにいてはいけないんじゃないのかと自問自答でした。
避難してきた方々での道路は渋滞、深山荘へも一晩だけ一晩だけと行列でした。
「もしも今一度の爆発があれば一緒に逃げますよ。」とのお約束でお泊めしました。


食材はなくなりトイレットペーパーやシャンプーが初めて在庫切れした。ガソリンがない徒歩で買いにいけるところにはどこへでもでかけました。


避難のために車へ積んできた米や野菜までわけあいだと差し出して下さいましたお客様や近所の旅館さんがシャンプー多めにあると分けてくださったり、友人がガソリン情報くれたり。


私共が何もないなかでもお分けできたのは温泉や水でした。


命があって家族も無事、宿屋として出来たのは温泉入浴とお泊めできたことでした。


目に見えない放射能におびえて外出しようとしている息子をどなったり。ガイガーカウンターで毎日線量を測っていたあの頃。


東京電力が悪魔に思えたね…


仮設住宅を岩手県大槌町に造るために深山荘から通われたS会社の皆さんにはいつ帰ってきても大丈夫なようにご飯を作り、洗濯のお手伝いをしました。

地震だけならキャンセルもさほどでなかろうが原発事故となると話は別。しかしながら当方へキャンセルの電話は一軒もありませんでした。
それどころか心配の電話やメール、5月から受け入れる原発避難者への部屋の提供を心よくしてくださいました。


しかし不安との闘いの中、テレビは津波と第一原発の様子さらに不安はつのっていた。本当にこのままここにいていいのか?って。


朝昼晩の食事提供で一日があっという間。
遅れて入学式した次女はガラスバッチというのを渡され線量を管理、東海村へ甲状腺検査に行ったり。
息子の高校野球は春の大会がなくなり県外遠征行くにもびくびくしたものだった。心ないこと言われたりしないかと。


栃木へ戻った娘が言った。「福島県から少ししか離れてないけどニュースは原発、原発ってやらない。地震の片付けももう済んだしもう普通の生活。」って。
確かに新聞の一面もニュースのトップも原発から、それは今でも。

県内の死者、行方不明者は四千人を超し、十万人はまだ県内外で避難を余儀なくされ県内の仮設住宅には一万八千人もの方々が長引く避難生活をされている。

胸がつまる…
いくら道路などインフラが整備されても残る原発。第一原発の廃炉への道のりは遠い。


失ったものはもしかしたら気がつかないでいるのかもしれない、得たもの?
それは自然の脅威。当たり前は当たり前でなく、自然や季節のもたらした恵みや人と人の繋がりがどれだけ力になったことか。それが「しあわせ」なんだと気づきました。


5年前とちっとも変わらぬ空の色なのに、今も時おり襲われる喪失感、変わったのはここで生きる私たちの在り方だろう。


忘れかけることに危機を覚え正直に誠実にお客様へは話していこうと思う。「絶対」なんてないのかも、「100%」なんてないのかも。
でも、福島は食の安全や安心、農業・漁業・林業や観光業の再生に取り組んでいます。
「福島産」は厳しい検査を経て出荷しています。農業、漁業、林業や観光業も風評を払拭するにがんばっています。



今もこれからもここに生きています。自然との共生、感謝して。



大切なこと沢山知りました。


改めて亡くなられた御霊に手を合わせ、今も続く避難生活が早く終わりますように願います。


5年前に小学6年だった次女は今年は高校三年生、兄と同じ高校へいき兄と同じ高校野球へ、もちろん女の子ですからマネージャーして今年は最後の夏を迎えます。
一日でも長くやらせてあげたい、佐藤家の集大成です。

高校2年でした長男は東京の大学へゆき大学野球を経験、今春卒業そして地元企業への就職が決まっています。

栃木の医療大学へ行っていた長女は地元の病院にて理学療法士になっております。
関わり応援してくださいました皆々様へ感謝申し上げます。

深山荘はお陰様でリニューアルから丸15年、この5年はがむしゃらにつきますが本当にお陰様でと…
姉妹店カフェ杢も皆様に可愛がって頂けるようになってきました。

有り難いことで、これからも深山荘、杢をご支持頂けますお客様がお一人でも増えますよう歩んで参ります。

3月11日2時46分は今日もきます。生きています。


祈りの日です。

この5年自分奮い立たせてきたソングを…








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(JR東日本・磐越西線 磐梯熱海駅下車 徒歩15分 )
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