佐藤家、深山荘へ嫁いで25年。先日同業の先輩ご夫妻とともにちょっと旅へ出かけました。
子供の各種大会、遠征では各地へ出かけたこと数知れず。しかし、あらたまってとなると新婚旅行以来の旅となりました。
私たち夫婦の出会いは遠い遠い小学生時代。40年以上も昔のこと。私が小学一年生、夫は小学五年生。夫の妹とは同級生。いわば同級生のお兄ちゃんだが、かつて可愛いピカピカの一年生の私はヤンチャなお兄ちゃんにからかわれていたようだ。
そこからの再会は20年あと、それぞれの行きつけの居酒屋でバッタリ!!それが平成元年11月11日でしたね。
なぜか?私の親友の結婚披露宴の前日だったから…
しかしね、実は闘病中の私だったのでした。
リハビリを経て結婚披露宴へと至るまでには泣いたり笑ったり…
ある東京の病院では、「結婚?ムリムリ。」「子供を産む?とんでもない。」って言われたりね。
披露宴の日を迎えられたのは平成3年3月3日のことでした。新婚旅行はオーストラリアへいく予定だったのに、湾岸戦争の影響で京都、奈良旅行へ変更。
とんでもないと言われた子供も産まれあれから四半世紀。
最後の三番目の子供を産んだのが平成11年1月11日でした。
それぞれの子供の成長や当時のことは今までの繁盛記、パート1からご覧下さいませ♪
話は戻りこの度の旅行。ようやく子育ての一段落はなんと平成11年生まれの娘が修学旅行への出発の日と決めていました。
結婚から25年、深山荘の平成の大改修から15年。節目の時。この度私ども銀婚式をむかえました。
先輩ご夫妻との旅行は娘が一歳のとき以来。本当に久しぶりです。
そんなご夫妻がなんと私たち夫婦の記念日のお祝いの企画。
11月11日に薔薇の花束とケーキとシークレットdrink?Tご夫妻とホテルスタッフに祝って頂きました。
感激の涙、涙となり今までの月日はすべて薔薇色へと変わったのでした。
本当にありがとうございます。
振り返れば結婚するにあたり心配をかけた家族、親戚、一緒に東京の病院へついて来てくれたおば、落ち込んだ私を元気づけて励ましてくれた友、リハビリの先生…初めての出産に立ち会ってくれた整形のドクターお世話になった方々数知れず。
親と過ごした月日より遥かに長く佐藤さんとして生きてきたんだなあ。
嫁いで深山荘で生きて活かされている今はお客様はもとよりいつも支えてくれるスタッフ、今まで沢山のアルバイトさんの力あり今日まできました。
この機会をくれたTご夫妻と我が夫。快く送り出してくれた元気な両親と子供たち。
振り返りと学びをありがとう!!
忘れない。
この25年、祖母をみおくり、深山荘の父、母をみおくり、今年9月にはおばをみおくりました。
私には80才を迎える高齢な父、母がおります。今は元気で暮らしているけれどやがては介護する日もくるでしょう。一日でも長く元気でいて欲しいし、一人っ子の私、必ずや看取り、見送りたい…
私ができることそれは父、母を見送ること、夫より一分、一秒でも長く長く生きること。
そう考えている。
この25年をこれからの土台としてさらにエネルギーにかえ生きてまいります。
大切なピンクの花束。ドライフラワーにしようとしましたがなんと夫は今も冷蔵庫へ入れています。
「開けるたびに思い出して幸せをかみしめている。」んだそうですワラ(^ω^)
今後の花束の行方が気になるところですが健康第一!笑顔一番!ですね。
身をもって幸せを感じて深山荘のお客様の幸せの場面に立ち会える喜び…感謝です。
旅はどこか?
シークレット!です。